ご祭神・ご由緒

ご祭神

国家公共に尽くした人の神霊

四万千八百七十三柱(平成二十六年現在)

〈本殿〉明治戊辰の役以降国家公共に尽くした人の神霊

〈相殿〉公務殉職者の御霊 五十四柱を奉斎する

ご由緒

全国各道府県の護国神社は、ほとんど明治維新の当時に招魂社として創建され、戦前より慰霊の祭儀が行われていました。

しかし宮崎県は、明治維新の当時、小藩分立の状態であったなどの事情もあり、県内全域の御霊を祀る招魂社は創立されていませんでした。

昭和16年12月、大東亜戦争の勃発により戦没者の数が非常に増加し、護國の英霊に対する県民の感謝と敬仰の念がいよいよ深まり、県民の要望に応えるため、当時の知事をはじめ各界の代表者数十名が設立者となって宮崎縣護国神社建設奉賛会を組織し、昭和18年4月23日内務大臣の許可を得て、宮崎市下北方の高台(現:大宮中学校)に鎮座地を定め建設工事に着手しました。
しかしながら建設途上において昭和20年8月15日の終戦を迎え、日本が連合国の占領下に置かれるとともに、建設を放棄するのを余儀なくされました。

その後、講和条約の発効をみるに至り護國神社再建の要望が起こり、昭和28年4月宮崎縣護国神社再建奉賛会を組織して県民の浄財をつのり、神社の再建に着手、昭和30年3月竣工、同日鎮座祭を斎行し、今日に至ります。

 
昭和天皇・皇后陛下行幸